碑裏面の碑文の写真
庭の小さな生き物たち付録 石碑めぐり
     S5 馬入の渡し跡(ばにゅうの渡し跡…神奈川県平塚市)
石碑めぐりNo.5馬入渡し跡の碑の写真
神奈川県平塚市馬入(相模川右岸堤防上)
角柱形の非常に重そうな石材です。
                                                   
 この石碑は、相模川下流域(馬入川)の右岸(神奈川県平塚市)の堤防上に
 あります。場所は国道1号の馬入橋の西詰の上流(北側)300mほどの場所です。
 渡し場跡だから対岸にもあって良いかなとも思いますが、実は対岸も平塚市
 で、その必要は無いと言うことでしょう。
 余談になりますが相模川下流域の東側は、茅ケ崎市と思っておられる
 方が多いと思いますが、相当部分が平塚市です。
 茅ケ崎市には「旧相模川(の)橋脚」(鎌倉時代の橋の跡)と言う国指定の
 史跡がありますが、現代の茅ケ崎市には、相模川本流にかかる橋は一つも 

 無いと言えそうです。   
裏側に埋め込まれた石版

石碑脇の看板
石碑脇の看板の広重画の写真
 

看板記載の文章

 東海道五十三次 平塚
馬入の渡し跡
―ばにゅうのわたしあと――

 茅ケ崎から馬入川を渡る際
 一番の目印であったタブの木
 が茂る当時の馬入の渡し。
 中央の狂歌は

 「大磯へいそぐ
    えき路の
      すずのねに
  いさむ馬入の
   渡し船かな」
       
      初代広廣重画
    東海道五十三次之内
平塚「馬入川渡船」(一八四二年頃)
碑裏側の碑文 

この地より約三百米下流に存在した東海道馬入の
渡し場に替わり明治十一年馬入村民念願の橋架る
爾来百二十八年間その痕跡見ること無し今日馬入
住民が総力を挙げて此の馬入の渡し跡碑を建立す
          平成十八年八月二十日

 題字 広重画(平塚馬入川の渡し)浅草並木山清板より



爾来(にらい) : それ以来
石碑脇の看板(上)の裏側
石碑脇の看板裏面の写真(往時の風景画)
写真クリックで画の拡大ができます
↓ 渡しの説明板
説明版の説明文の写真
         画の説明は「渡船場眺望図」(新編相模国風土記稿)
      抜粋(概要)
江戸時代、幕府は大きな河川に橋をかける
ことを禁止しました。(相模川、多摩川、酒匂
川など)
相模川には六十以上の渡し場がありました。
大動脈である東海道は「馬入の渡し」と呼ば
れ、幕府が管理し、周辺村々の負担によって
成り立っていました。
当初船は須賀村(現平塚市)だけで用意して
いた様ですが、元禄五年(一六九二年)に
対岸の柳島村(現茅ケ崎市)が加わりました。
 中略
船には「小船」と「馬船」があり、小船は人を
乗せる船で定員二十人ほど、馬船は大型で
馬が荷物を積んだまま横向きに乗ることがで
きました。他に将軍や大名用の「御召船」な
どが用意されていました。又将軍の上洛など
特別の大通行があった場合、幕府は「船橋」
をかけさせました。
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