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庭の小さな生き物たち付録 石碑めぐり
     S3 浜降祭駐興記
石碑めぐりNo.3浜降祭駐後期の写真
神奈川県寒川町(一之宮)
表題
駐興とは中興と同意でしょうか ?
碑文
文字は明確で、良く読めます
浜降り祭駐興記の碑標題の写真 浜降り祭駐興記の碑説明文の写真
     碑文

 
興 祭 浜
記 駐 降
相模国一宮国幣(こくへい)中社寒川神社浜降祭有リ。
古例ニ依リ、七月一五日神輿(みこし)茅ヶ崎南湖浜
ニ渡御在ラセラル。此ノ日近郷近在十数社
ノ神輿供奉シ、県下唯一ノ盛儀ナリ。還幸の
途次、一ノ宮当所ニ御休憩。御発輿ニ当リ清
浄ノ地ニ裁培セシ、麦(?)茎ニ火ヲ点ジ、神輿ニ
投ゲ掛クル古事有リ。當地ノ?家、川崎家ニ
? 代々奉仕セリ。茲(ここ)ニ、其ノ所以(ゆえん)ヲ刻シ永久
後世ニ伝ヘムトスルニ當リ、需(もとめ)ニ依リ記ス
事斯(か)クノ如シ
   昭和八年六月
 国幣中社寒川神社宮司正七位橋本甚一撰書
 
  この石碑は寒川町の一之宮にあります。場所は県道45号(通称丸子茅ヶ崎線)を茅ヶ崎方面から
  北上し、寒川に入ってからまもなくの、景観時前信号を直進し44号に入って500m程西の、道路
  南側の空き地の入り口近くに立てられています。碑はほぼ北向きのため、冬季は何時も逆光で
  良い写真は撮れません。浜降祭は「茅ヶ崎海岸浜降祭」と言う名称で神奈川県の無形民族文化
  財に指定されています。
  この碑の通り、寒川町の寒川神社の祭礼として行われていたものですが、茅ヶ崎市の鶴嶺八幡宮
  でも同様の祭りを行っていたたため、合わせた形が、現在の「茅ヶ崎海岸浜降祭」となっています。
  単にたくさんの神輿が海へ入るお祭りではなく、民族の文化として考えると、神社と祭りの歴史を
  知らなくては理解する事はできません。
   なおこの広場の奥右手には、鎌倉時代にこの近辺を治めていたという梶原氏の一族、(もしくは
  関係者とも言われている)数基の墓が有ります。きれいに整理されてしまっていますが…。 
  ※ なお、このお墓、整備される前の写真が、寒川町ホームページ(文化財→散策)に掲載されています。
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