この石碑は寒川町の一之宮にあります。場所は県道45号(通称丸子茅ヶ崎線)を茅ヶ崎方面から
北上し、寒川に入ってからまもなくの、景観時前信号を直進し44号に入って500m程西の、道路
南側の空き地の入り口近くに立てられています。碑はほぼ北向きのため、冬季は何時も逆光で
良い写真は撮れません。浜降祭は「茅ヶ崎海岸浜降祭」と言う名称で神奈川県の無形民族文化
財に指定されています。
この碑の通り、寒川町の寒川神社の祭礼として行われていたものですが、茅ヶ崎市の鶴嶺八幡宮
でも同様の祭りを行っていたたため、合わせた形が、現在の「茅ヶ崎海岸浜降祭」となっています。
単にたくさんの神輿が海へ入るお祭りではなく、民族の文化として考えると、神社と祭りの歴史を
知らなくては理解する事はできません。
なおこの広場の奥右手には、鎌倉時代にこの近辺を治めていたという梶原氏の一族、(もしくは
関係者とも言われている)数基の墓が有ります。きれいに整理されてしまっていますが…。
※ なお、このお墓、整備される前の写真が、寒川町ホームページ(文化財→散策)に掲載されています。 |
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