旧跡探訪
(旧二十二)   野仏群(三) 道祖神(十一)、庚申塔(十一、道祖神(十二) 部分の拡大写真

道祖神(十一)      
神奈川県茅ヶ崎市の11番目の道祖神の部分写真

 表面左下部
神奈川県茅ヶ崎市の11番目の道祖神の写真 神奈川県茅ヶ崎市の11番目の道祖神の部分写真

 裏面の一部
  左下になにやら書いてありますが、"一氏子"とも
  "中氏子"の様にも読めるのですが、一の方が
  格好いいですね。
  背面のごく狭い部分に年号が刻まれています。
  近代のものと思われますが、はっきり読めません。
  右側に一段高く、大正二年、左側に少し下がって
  二月吉日と読めそうに思えますが、どうでしょう。

庚申塔(十一)
神奈川県茅ヶ崎市の11番目の庚申塔の部分写真

矢(像の左手)
神奈川県茅ヶ崎市の11番目の庚申塔の部分写真

弓(像の右手)
神奈川県茅ヶ崎市の11番目の庚申塔の写真 神奈川県茅ヶ崎市の11番目の庚申塔の部分写真

↑ 塔の向って右側面
神奈川県茅ヶ崎市の11番目の庚申塔の部分写真

 塔の正面下部
  右手に弓、左手に矢、足元にも酉の様にも見える
  何かが、そして一番下に三猿が彫られていますが、
  弓以外はいずれも明確ではありません。
  
  塔に向かって右側面には年号が刻まれています。
  陰刻で、こちらは明確に「万延元庚申九月」と読む  
  事ができます。万延元年は西暦1860で明治に
  なる8年ほど前になります。   庚申:かのえさる

道祖神(十二)
神奈川県茅ヶ崎市の12番目の道祖神の部分写真

↑ 像に向って左側
神奈川県茅ヶ崎市の12番目の道祖神の写真
 中央上部は一部欠けていますが建立 と書いて
 ある様です。
神奈川県茅ヶ崎市の12番目の道祖神の部分写真

↑ 像に向って右側
 向って左端の欠けた部分の上には
 "? ?西"、下には"久保村" と彫られ
 ています。欠損部分は最初からの
 もので、??の文字の下は州とも読める事
 から全体では、地名の
 "相州西久保村"
 が良いと思います。
神奈川県茅ヶ崎市の12番目の道祖神の部分写真

 台座正面
  台座には建立者の名前が刻まれています。 
  大きく拡大しても山口、田村 等が見え
  るぐらいで、このままでは 読みきれません。
  右端には何かの絵が描かれている様にも。 
 
 
 右側には年号が刻まれています。
 読めるのは欠損部の上に
 "安永"、下に"三月日" だけで、
 残念ながら、何年かは分かりません。
 安永年間は,1772年から81年で
 江戸中期も終わろうとしている頃
 です。
  
 何かの絵の様

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 ?

田村  ?

山口勝   ?