旧跡探訪
(旧二十一)   野仏群 (二)   年号等拡大写真

像の右脇 菩薩(七)(道祖神) 像の左脇


↑ 像の向かって左脇


↑ 像の向かって右脇
  向かって左側に年号が刻まれています。
  拡大して、上から見たり、下から、左右から一時間ほど
  眺めた結果は"元文二丁巳年十一月二日"でした。 
  年の文字は全く推測、月以下は「そんな風に読める」
  程度です。「げんぶん二ひのとみ年」で、西暦では1737
  年、江戸時代の中ごろになります。
右側にも何か書いてある
様ですが判読できません。
この部分が剥がれて欠け
落ちそうで気になります。

道祖神(十)


↑ 塔の向かって左側面



  右側面には何も書かれて
  いない様です。
    こちらの方は向かって左側面に大きくきれいな書体で
    嘉永元年戊申十一月吉日と刻まれています。
    嘉永元年は西暦1848年てす。明治になる20年ほど
    前の事です。
                戊申: つちのえさる

その他


↑ 左隅には


↑ 右隅には
  スペースの左隅に幾つかの五輪塔の部品が積ま
  れています。なぜか先端部(風・空輪)だけがたく
  さんあります。
  右隅には完全な様に見える一組の五輪塔があり
  ますが、火輪(屋根型の部分)は別の物の様に思え
  ます。これはやはり古いお墓の形として造られた
  宝筐印塔(ほうきょういんとう)の一部でしょう。