甘沼八幡大神と甘沼村の由来
           
     甘沼八幡大神と甘沼村の由来
  八幡大神
社格  相模国高座群甘沼村明治六年十二月被列村
    社候事
祭神  八幡大神は誉田別命(応神天皇)軍の神
    様。境内に末社あり殿山稲荷と云う、祭神に倉
    魂神、農業の神様
創立  明暦二年丙申(西暦一六五六年)今から参
    百弐十六年前である
現建物 奥殿は昭和二十六年十月に再建された。本殿
    は和四十八年九月に村有志によりに再建さ
    たものである
  甘沼村の由来
由来  昔より高座郡に属す。起源詳ならず、口碑に今の
    本村の田、地震にて概て一円沼地にして其辺甘
    草の生茂せしを漸々開墾したるを以って、甘沼
    村と言い、懐島郷(旧大庭の庄)の一つであったが
    冠称を廃して、現今は単に村名のみを用う
沿革  往古詳ならず。永禄年間、北条氏の臣 近藤孫三
    郎采地たり、天正十八年庚寅、徳川氏に代わり、承
    応三年甲午、旗下 堀順三郎の知行所となり、明治
    元年戊辰八月韮山県に属し、同年九月に神奈川
    の所轄となる
             昭和五十七年三月吉日建之
   注:文中の句点、句読点は作者追加
   誉田別尊→ほむたわけのみこと   懐島郷→ふところじまごう